昭和43年5月15日 夜の御理解
信心は、有り難い、信心さして頂いておることの有り難さをしみじみ感ずるといったようなことを皆さん申しますが、本当にあの信心を頂いておるということが、有り難いと、分からして頂くまでにはやはり、「三年五年の信心ではまだ迷いやすい、十年と信心が続いたら」とこうおっしゃるのですが、十年続いてもです私は本当に信心が有り難いとこう、お~信心は有り難いものだというところまでにはね、やはりそうとう本気での信心の稽古がなさらなければ、信心ちゃ有り難いものになってくるにはならない、まらはたして信心頂いた者が、どれだけ有り難いと本当真実思うておるか、ね、思うておるならば、その思うておることがですね、形に現れてこなければならないのだけれどもその証拠に現れてこない、ね、本当に信心が有り難いと、分かるところまでには、そう(ちょういっせき?)にしてきよるとは思われない、「何事も釘付けではない、信心は銘々にしておらねば長う続かん」とおっしゃるようにその、釘付けではない、「神参りをするのに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならん、その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ」と、釘付けではないからいつでも変っておらなければ、おらなければならん、また変ることも当然、でその間にはやはり本当に雨だろうか、嵐だろうかといったようなことも通るけれども、その辛抱こそ身に徳を受ける修行なのだ、やはり私本当は身に徳を受けなければですね、信心ちゃあ有り難いなぁというこにはなってこんのじゃないかと思うですね。
どうでもここんところをですね、先日、中学校の先生方が、家庭訪問にみえた時に、栄四郎の先生、「金光様の御信心、御信心っちゃどんな、どげな信心の」っち、って聞きなさったげな、「僕には分からん」っち言うて、「僕には分からんけれども、先生良心的にはなるで」っち言うたっち、良心的にだけはなる、教えを頂きよったら、ね、けれども私はその良心的ですらない人があると思うですね、信心頂いておってから、信心頂いておる者の自覚というものが、ね、信心のいわゆる頂いておる、例えばみ教えの、というものがです、ね、まああ~、あっそここでも分かっておるならですね、本当に良心的に、栄四郎じゃないけれども、良心的になるという、その良心的ですらないということになる、まあことになったらね、いよいよ信心の有り難さなんかが分かるはずがない、ね、お願いをしておかげを頂いても、ああそん時は有り難いと言いよるけれども、それを本当のおかげと思ってない、お願いしておかげど、自分の思うようにでもならんと、「いや神様は聞かっしゃらじゃった」といったようなことになる、そういう信心がですねいかに、私は十年いや十五年続いても、それは本当なことじゃない、釘付けではないから、ね、いつも覚えておる、そりゃしかもそれが銘々でなかなければならん、自分と同じでなからならんとことはない、神参りをするのに、雨が降るから風が吹くから、ってえらい、ね、大儀だと思うちゃならん、「その辛抱こそが身に徳を受ける修行じゃ」とおっしゃる、その辛抱さして頂くその間がです、ね、私は大事だと思うのですね。
本当にあの信心して有り難いと、「本当に信心っちゃ有り難いなぁ」っとこう、分からして頂くところまで一つ信心を身に付けていきたい。
カボチャかなんかのような物でしたら、夏の日にそれこそあっと言う間に大っ地面に広がっていってすけれども、ね、それがやはり、い~そのメロンのように、あ~しこりにくい物もある、良い物であれば良い物であるほどそうなんだ、信心でもそうである、ね、一遍にバァーッと広がってしまうといったような信心なら、大した信心じゃない、そしてその信者は大した信者じゃない、ね、私は本気で信心の稽古をする人達が集まって、いくのですから、そう沢山おるはずはないそういう人が、ね、それ、それでもやはりです、ね、本気で信心の稽古をさしてもらわなければ、信心の味合いというものは分からない、本当に信心の味合いというものをですね、身に染みて頂かせて頂くところまで、一つおかげを頂かなきゃならん、どうでもおかげを頂きたい、信心頂いておるということが有り難い、本当に信心頂いておるというのが有り難い、信心の家に生まれたことが有り難い、親達信心頂いておってからどこぞと有り難い、と本当にその親の信心に感謝し、また頂いておる信心に喜びを感じる、信心の家に生まれたということが有り難いと分かるところまで一つお互いがですね、信心の家庭にあるならば、その信心を本当に自分が有り難いというところまで一つ頂かにゃいけん、ね、ただ何とはなしに漠然に拝んでおると、ね、「もう家代で金光様の信心だから、金光様から外れきらん」と言うて、その信心を本当に有り難いもの有り難いもの、またとない有り難いものであるというところまでです、その信心を自分のものにしていかなければね、信心の本当の値打ちはないのじゃないかとこう思うですね。 どうぞ。